「成功体験」ある会議でこんなワードが出てきました。かつて成功した体験を元に、それを繰り返して成功させようとする動機のことです。その会議では、盛り上がりに欠けている活動について、大先輩と呼ばれるような高齢の方々が、今の若い世代は何をやっているのだ!と叱責してくるという悩みが吐露されました。今の若い世代は盛り上げる努力が足りないということのようでした。

 確かに批判は甘んじて受けねばならないでしょうし、言い逃れはできません。既存のものを守ったり継承したりするだけでは、すたれてしまうものは確かにあるのです。例えば、日本の伝統芸能である歌舞伎。しっかり受け継いでいかねばならない重要な日本文化の一つですが、次世代にソッポを向かれれば、消滅しかねません。ですから、日本の伝統芸能であるにも関わらず、古典ばかりでなく近代的なテーマを取り込んだ演目なども行われるようになっています。最近では人気マンガのワンピースも歌舞伎になっているとか。歌舞伎でさえそういうチャレンジをしているのですから、文化活動だろうと経済活動だろうと、既存の仕方ばかりではなく、新しいことにもチャレンジするなど、盛り上げたければ様々な努力を惜しんではいられないということです。

 しかし、大先輩方の成功体験だけを拠り所とすると、うまくいかないものです。具体的には、「かつて自分はこういう方法で上手くいった」という手法で物事を進めようとしても、必ずしも同じような成功に導かれるとは限らないのです。理由は様々でしょうが、大雑把に言えば状況や背景は皆同じではないからです。もう少し乱暴に言うと、「時代が違う」のです。
では、成功体験は無駄なのでしょうか?

そうではありません。成功体験は成功の具体例ですから、繰り返して成功することはたくさんあるでしょう。それ以上に、成功体験は私たちに自信を持たせてくれるという点において、大いに役立っています。問題は、成功の一例としての一つの体験に固執した場合です。

例)畑にトマトの苗を植えたら沢山収穫できました。これ成功体験。でも、翌年同じように同じところにトマトを植えたのに、みんな病気になったりして不作でした。運が悪かったのかな?だからさらに翌年同じようにしてみたけど、また失敗。成功したときと同じようにしたのに、なぜ?

 これは、トマトを含むナス科の植物は同じ場所(同じ土)では連続して作れない性質があるからなのです。もし、最初に失敗した時に、なぜ?という疑問と共に原因究明を探していれば、2年連続の失敗はなかったでしょう。でも、一度の成功体験に固執して同じことしか続けなかったとしたら、二度と成功できない可能性だってあるのです。

 ということは、成功体験と同じように、失敗体験も大切だということがわかります。成功するばかりでなく、失敗して悔しいとか痛いとか悲しいとか、そういうことも私たちを成長させてくれる大切な力になっているのです。

 子どもたちにはたくさんの体験をさせてあげたいと思っているのは、成功体験はもちろん、失敗からも沢山学び、それらが生きる力になると信じるからです。

園長:新井 純


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