新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年の始まりには、新しい決意をしたり、1年の目標を定めたりする方は多いでしょう。初詣に行ってお願い事をして来られた方もいらっしゃるはずです。私の家はキリスト教徒でしたから、神社に初詣に行くことはありませんでしたが、京都に引っ越してきた時、テレビで八坂神社の「おけら参り」(縄の先に火を灯し、消えないようにグルグル回しながら歩いている姿が印象的)や、NHK紅白歌合戦の後に放送される「ゆく年くる年」で知恩院の鐘が鳴らされるのを観て、一度ナマで見てみたいと思いたちました。そこで、姉と二人で行ってみました。でも、いざ行ってみると、あまりの人の多さに鐘楼に近づくことさえできず、うんざりして帰宅したのを覚えています。

さて、私は昨年こんな目標を立てました。「1年365万歩歩く」実は一昨年、1日1万歩を1年続けるという目標を立てたものの、半月もしないうちに途絶えてしまいガッカリしたので、それなら平均して1日1万歩になれば良いのだと、365万歩という目標を設定したのでした。

1〜4月までは順調に歩数を伸ばし、これなら400万歩くらいいっちゃうんじゃない?なんて浮かれていました。ところが、会議や出張が多くなった5月以降、途端に記録が伸び悩むようになります。雨天が多くなれば歩く機会も減りますし、気温が高いと出歩くのも嫌になり、移動も最小限の労力で済まそうとしてしまいます。結果、秋には春までの貯金をすっかり吐き出し、余裕だったはずの365万歩に黄色信号が灯ってしまいました。

「まるでウサギとカメだ」とうなだれていても歩数は伸びませんから、11月からまたせっせと歩くことを心がけました。そして、無事目標を超える370万歩ほどでフィニッシュしました。

やったぜ!と思っていたところでこんな言葉に出会いました。「一度口にしたことは断固として行うというのは、潔く思えるし、決断力と意思の強さの表れにも思われる。だから正しいと。でも、よく考えてみればある種の頑固であり、強情の表れ。もしかしたら名誉心や虚栄心が隠されているかも。だから、行為するかどうかはもっと別の理性的な視点から、それが本当に良いかどうか見極めてからなされるべきだ(ニーチェ)」

なるほど、確かにそうかもしれません。初志貫徹などと言えば聞こえは良いですが、最初の計画や目標が必ずしも私たちを正しい道に導くとは限りません。私の1年365万歩にしても、自分の健康のためと言いながら、「こんな目標を達成したんだよ」みたいな自慢の種にもなるわけですから、そう考えるとなんだかなぁ、であります。

では、目標など立てるのはやめましょうか。あるいはどんな目標も志も、「言うだけ番長」でええやん!ということにしておきましょうか。

いえいえ、それは違いますね。目標にとらわれ過ぎるのは道を踏み外してしまう危険をはらんでいるかもしれませんが、達成するために努力することは、私たちを成長させる力になるはずです。ですから、柔軟さを備えた上で、目標目指して走る(歩く)ものでありたいと思います。

 園長:新井 純


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