Superflyというアーティストの「Beautiful」という曲を時々聴いています。サビの歌詞が素敵です。「世界で一つの輝く光になれ。私でいい。私の歩幅で生きていくのさ」頑張らなきゃと思う時に聴くと、大いに励まされます。園長、若いなって?ええ、若いんです。

世光保育園の「世光」とは、読んで字のごとく、世の中の光という意味です。これは、新約聖書のマタイによる福音書5章「あなた方は地の塩である」「あなた方は世の光である」という言葉から取られています。塩は命を保つために必要不可欠な要素であると共に、お料理の味付けにおいては、わずかな量でも料理の出来を大きく左右します。そこでイエス様はおっしゃいます、「塩に塩気がなくなれば、(中略)もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられる。」

同じように、世の光については「ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のもの全てを照らす。」と記されています。(升=マス。ランプやろうそくを入れていた箱)

塩とともし火、いずれの比喩も、わたしたち一人ひとりが大切な存在であることを示しています。世の中がお料理だとすれば、塩は欠かすことが出来ません。全体に影響を与えるほど大事な存在です。また、暗い部屋、とりわけ夜になれば、ともし火が必要です。真っ暗闇の中でも、私というともし火があれば、見えるようになるでしょう。それらは、単に「美味しくなった」とか「見えるようになった」ということに留まらず、例えば美味しいお料理で心も満たされたとか、明るくなったことで読書や作業ができるようになったなど、数えきれないほどの相乗効果をもたらすのです。

人間には個性があります。とかく個性的というと、「普通じゃない」とか「変わってる」というニュアンスが含まれるようですが、個性とは性格だけを言うのではありません。一人ひとりに備えられた能力を含めた、その人を表すものですから、全ての人が個性的であるはずです。そして、その個性は尊重されなければなりません。なぜなら、その個性には意味があるはずだからです。

そこでイエス様は、「あなた方は地の塩、世の光である」とおっしゃったのです。これによって、私たちは大切な一人なんだ、私たちはみんなの役に立つのだ、と気づかせてくださって、私がここにいる意味、存在意義を確認できるのです。世光保育園という名称には、子どもたちにそうした想いをしっかり受け継いで育って欲しいという願いが込められています。

子どもたちばかりではありません。大人であっても、みんな大事な地の塩、世の光です。それぞれに役割や責任があり、みんなが輝き合うことで、みんなが心地よく生きていける、平和で素晴らしい世界を築き上げるのです。

コロナ禍のために残念で悔しい思いをたくさんしましたが、工夫や見直しで新たにされたこともありました。それぞれが知恵と力を出し合えば、もっと素敵な世の中を創れます。世光で育つ子どもたちには、神様から与えられている光を存分に輝かせて欲しいと願っています。

卒園生、卒園おめでとう。
在園生、進級おめでとう。

園長:新井 純


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