大きくひび割れたアスファルトを雪が覆い、その傷跡をわかりにくくしていきます。その横を車列がそろりそろりと進んでいくのですが、所々崩れてしまったためか、片側1車線ずつの道路は一方通行にされ、時々田んぼの中の細い迂回路に誘導され、雪で隠された段差があると車体が大きくバウンドしました。復路(帰るための一方通行)への分岐点は、峠が路面凍結でスリップしてしまうために大渋滞が発生し、それが分岐から溢れてきたため、往路も復路も動かなくなりました。「これはマズいな。これ以上進んだら、脱出に相当な時間が掛かって、下手すりゃ今夜は車中だね。まあ、止まってるのは嫌だから、進みましょうかね」そう言いながら、動かなくなった車列の横をすり抜けて前進します。分岐から伸びる反対車線の車列は数キロ続き、「こりゃ、ほんまに帰れんな」とつぶやきながら進みました。

 輪島市街地に入ると、景色は一気に大震災被災地の様相を呈します。倒壊した家屋、斜めに倒れたまま光る信号機、道路にまで崩れてきている店舗、崖崩れに巻き込まれたらしき新しい家屋もあります。横倒しになったビルは、テレビでよく映し出されたものだとすぐわかりました。

 そのビルのすぐ近くに、日本キリスト教団輪島教会がありました。2007年の能登半島地震の時に訪問した時は持ち堪えていましたが、今回は破壊されてしまいました。その壊れ方から、あの地震がエネルギーの凄まじさがわかりました。付近の家や商店もバタバタ倒れ、1ブロック先には爆撃でも受けたかのように焼け野原になった朝市がありました。雪のせいもあるのか、人の気配がなく、ボランティアか調査のためだろう何かを記録している人を見かけるくらいです。誰も声を発することなく、辺りも車内も、動いたらピキッと音がするかと思うほど空気は張り詰め、どこまでも透明でした。

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 被災地にある日本キリスト教保育所同盟の加盟園を問安する目的で能登半島地震被災地を訪れました。輪島に加盟園はありませんが、七尾を訪ねた際に「奥能登にも入れるからぜひ行ってみて」と言われ、結局輪島まで行くことになったのでした。

 地震には「通り道」のようなものがあり、震源から近いから被害が大きいとか、遠いから被害がないというわけではありません。断層や地盤など、様々な要因で被災状況は変わります。ご存知の方もおられるかと思いますが、通り1本挟んで片側の被害はひどく、反対側はほとんど被害がないということもあるくらいです。

 そういうことを含め、個々の被災状況はやはり現地を訪ねなければわかりません。マスコミはより画になるものや、悲劇、感動ものだけを拾い上げて報道するので、支援に必要な情報はなかなか入手できません。なので、教会関係や保育園関係では、こういう時に動ける人やグループが現地に入って、その情報を共有しています。

 これまで十以上の被災地を訪ねてきましたが、このたび改めて私たちの園の自然災害時の対応マニュアルの充実を図ろうと思い立ち、準備を始めました。これまで見聞きしたことを生かし、整理しておくことも必要だなと考えたからです。もっとも、無駄な努力になれば良いとも思いつつ。
園長:新井 純


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