8月の献立表です。
8月献立表
給食便り | 10:48 AM | comments (x) | trackback (x)
夏真っ盛り、あつーい毎日ですが、のあ・むぎのみんなは元気いっぱい!

プチトマト・にんじん・オクラ・ピーマン・きゅうり・いんげん豆を育てよう!と決め、みんなで苗植えと種まきをした日から、「大きくなるかなぁ?」「まだできひんなぁ…」と、登園するなり様子を見に行き、せっせと水やりをして野菜たちの成長を見守ってきました。

トマトが色づき始めると「もう食べられる?」「カラスがくる前に取らないと!」とそわそわ。

そして、いよいよ収穫!!










採れたてをよーく洗って「いただきまーす!!」

オクラやいんげん豆は、給食の先生が茹でてくれました!!

ミニミニにんじんも、丸ごと茹でてもらって丸かじり!!





雑草を抜いたり、間引きをしたり、プランターに近づくアリや青虫を見つけると「トマト食べたらあかーん!」「お庭のちゃう葉っぱに行って!」と、見守り隊が全力で野菜を守ってくれました。






自分たちで育てた野菜の味は格別&特別?!

「おいしいわ!」 「ちょっぴりすっぱい!」
「あまいなー!」 「もっと食べたい!」

などなど…

雨・水・太陽の光、たくさんの自然の恵みを受けた野菜を、みんなで分かち合って味わう事ができました。


この野菜のパワーをエネルギーにして、暑い夏を元気に遊んでいってくれることでしょう!!

(O)

スタッフブログ::のあ・むぎチーム | 01:31 PM | comments (x) | trackback (x)
 新型コロナに対するワクチン接種が急伸しかけたかと思ったら、ワクチン不足でブレーキがかかってしまいました。難しいものですね。

 京都市は保育園関係者も優先接種の対象としました。そりゃそうです、どんな時にも開所し続けろ!と命じてきたのですから。そこで、世光保育園も希望する職員には接種を開始しています。むろん、ワクチンの安全性が完全に保証されているわけではないので、あくまでも任意であり、個々人の意思を尊重しています。

 私は新型コロナが流行し出した1年前、これがもたらしたのは「分断」だと思いました。ここに来てワクチン接種を巡り再び分断が起こりつつあります。自分の命は自分で守るほかありませんし、接種してもしなくてもそれぞれにリスクはあるのですから、接種するかしないかは、よくよく考えて決めなければなりません。その決断について、第三者はとやかく言うべきでもありません。「一人ひとりを大事にする」とは、そういうことです。どのような経緯を辿ろうとも、この災禍が一日も早く収まるよう祈るものです。

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 アメリカ・メジャーリーグ(プロ野球)、アナハイム・エンジェルスの大谷翔平選手の活躍が注目され、日本でも連日のように報道されています。年に一度のオールスターゲームのファン投票では、指名打者部門でぶっちぎりの一番人気になっているそうです。野茂投手、イチロー選手、松井選手など、米国で活躍し人気になった選手たちは数多くいますが、今年の大谷選手の人気は桁違いに感じます。

 大谷選手が人気者になっている理由の一つに、彼の礼儀正しさや明るさ、優しさ、公正さなど、人柄の良さがあげられています。例えば、ミスジャッジが疑われるシーンでも、怒って抗議するのではなく軽くおどけて見せるとか、投手として出場して相手バッターにデッドボールを投げてしまった際も「すまんすまん!」というリアクションをしてみたりとか。先日は、グランドに落ちていたゴミをひょいと拾ってポケットに入れた様子をカメラが捉え、これを絶賛していました。

 確かに素晴らしい選手です。良さそうな人柄も顔の表情に表れていると思うほどです。だから、彼が称賛されると「本当に素晴らしい選手だな」と嬉しくなって見ていられます。

 でも、彼を絶賛するメジャーリーグのアナウンサーたちの声を聞きながら、ふと思ったのです「アメリカ人は、彼を絶賛するだけなの?」いや、正確にはアメリカ人ではなく、それを見ている私たちを含め、「みんなはどうなの?」ということです。

 相手にボールをぶつけたら、ゴメンと謝るのは当たり前。でも、プロ選手になると、そういうリスクも織り込み済みだし、強気を装わないといけないからと、謝りもしない。また、グランドのゴミを拾うのは整備係の役割であって、選手はプレーに集中すれば良いと言われればその通りだし、唾やガムを吐き捨てる選手もいる。なのに、大谷選手の行動を絶賛するということは、みんな大谷選手のようにする方が良いと思っているんですよね。つまり、みんなどうするのが良いのかを知っているということですよね。
園長:新井 純

『園長ブログ カピバラのひげ』 | 11:50 AM | comments (x) | trackback (x)
緊急事態宣言延長が決まりました。テレビの情報番組で見たのですが、ステイホームや緊急事態宣言による感染防止効果は13〜16%程度だそうです。ただ、経済活動を完全ストップさせるロックダウンでさえ37%だと言うのですから、結局は集団免疫獲得までは終息しないということなのでしょうか。早く収まって欲しいと心から願います。

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 イエス・キリストは、人との距離をグッと縮めた方でした。聖書にはイエス様がたくさんの病人や障がい者をいやした物語が記されていますが、その中からマタイによる福音書8章の二つの物語を紹介しましょう。

 一つ目は重い皮膚病を患っている人をいやした物語。重い皮膚病の患者がイエス様に向かって「主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります」と言いました。当時、重い皮膚病は罪を犯した報いであると信じられていたので、多くの人は律法という掟に従い、「罪びととは交わらない」ことにしていました。つまり、交流を避けていたのです。

 当然患者は孤立し、孤独にさいなまれます。ただでさえ病気で辛く苦しいのに、社会的にもみんなから距離を取られてしまうのは辛いことです。

 でも、イエス様はこの人の訴えを聞いて、すぐさまその人に触れながら「よろしい、清くなれ」とおっしゃいました。「触れる」ということがポイントです。皆が接触を避けていたのに、イエス様は躊躇なく触ったのです。その瞬間の患者の心境を想像するのですが、どれほど嬉しかったことでしょう。みんなが避けるのに、この方は触れてくれたのです。

 二つ目は、百人隊長の部下の話です。ローマの兵隊の隊長が、遠くにいる部下が病気で寝込んでいるとイエス様に話しました。イエス様は「じゃあ、行こう!」とおっしゃるのですが、百人隊長は「いえ、わざわざ行かなくても、ここでおっしゃってくだされば、それで事足ります。なぜなら、隊長が命じれば部下は動くように、あなたが命令すれば、悪霊は去っていくでしょう」と言ったのでした。

 これには、よくそこまで信じてくれたとイエス様も感心しました。そして、フィジカルディスタンス(物理的距離)は取られたままですが、信頼の元で心の距離はグッと縮められました。

 最初の物語は、具体的に触れ合うことで、見た目を含む距離を縮めましたが、実はそれだけでなく、病気のゆえに罪びととされ、社会から疎外されていた人と触れ合うことで、精神的にも、社会的にもその距離は縮められたのです。つまり、イエス様ご自身はもちろん、患者の心の中にも「私と触れ合ってくれる人がいる!」という喜びが満ちていったのです。

 それだけではありません。周囲にいた人たちも「触れ合ってもいいんだ!」という気づきが与えられたでしょう。そう、つまらない偏見で仲間外れにしていたことの愚かさに気づく機会が与えられたのです。

 距離を空けることは、感染予防として大切です。でも、知らぬ間に心の距離まで空けないよう、気をつけたいものです。
園長:新井 純
『園長ブログ カピバラのひげ』 | 11:48 AM | comments (x) | trackback (x)
 三たび緊急事態宣言が出されました。昨年に引き続きゴールデンウィークの楽しみがなくなってしまったという方々もおられましょう。新型コロナ騒動は簡単に収まるようなものではないと承知していますが、飲食業界等を中心に「我慢にも限界がある」という声を何度も聞くと、もう少しまともな対策はなかったのかなと思わずにいられなくなります。せめて、政治家の皆さんには、間違っても政治資金パーティーなど開いて「制限の範囲内だ」などと開き直り、我慢している国民を苛立たせるようなことのないよう、模範的行動を取って欲しいと願います。

 新約聖書の中にマタイによる福音書という書物があります。そこにこんなことが書いてあります。「人を裁くな。あなた方も裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」

 解説の必要はないかもしれませんが、自分のことを棚に上げて、隣人の失敗や至らなさについて裁くのはよろしくないという内容です。なぜなら、あなたにも失敗はあるし、至らないこともあって、隣人を裁くなら、それはそのまま自分にも当てはまるのだから、あなたも裁かれますよということです。

 隣人の失敗を指摘することが悪いと言う意味ではありません。また、違反や罪を見逃さねばならないのか、ということでもありません。失敗や至らない点を指摘する時、それが建設的意見、すなわちその人が成長できるとか、意欲的に改善に取り組めるような仕方なら、大いに提案するべきでしょう。違反や罪に対しては、私たちは誰もが社会的責任を負っているのですから、違反や罪にはしかるべき償いが必要ですし、被害者が出ないようにするためにも、本人の省みが求められるべきであって、そのためには裁かれることも必要です。ただ、それらを個人的に行ったり、感情に任せて行うことが戒められています。先にも書いたように、人間は基本的には利己的で、自分のことは棚に上げて、つい感情で隣人を裁いてしまうからです。そう、緊急事態宣言だから出歩くな、とか、マスク警察のように。

 聖書は、あなたは自分の目に丸太が入っているのに、隣人の目にあるおがくずを取らせて欲しいと言えないでしょ?と書いています。目の中に丸太が入るなんて、非現実的だなと思っていましたが、それほどまでに自分のことは気づかないものなのだと思えば、なるほどそういうところはあるなと思わされます。自分の至らない点は過小評価して「失敗したけど大したことない」と思いたくなるし、なのに隣人のミスはガッツリ指摘したくなるのは、こういうことなのです。

 さらに、相手の目にあるおがくずとは、もしかしたら自分の目に入った丸太が相手の目に映っているものなのかもしれないと考えるとどうでしょう。これだと、指摘したくなる相手の欠点や罪が、実は自分に大きな責任があったかもしれないというがわかってきます。

 大事なのは、自分が完璧ではないということに「気付く」ことです。隣人を責める前に、自分を省みることです。子どもも同じ。できなくて当たり前、それを上手に引き上げるのが、大人の役割なのです。
園長:新井 純

『園長ブログ カピバラのひげ』 | 11:45 AM | comments (x) | trackback (x)
〈野菜〉
毎日、朝夕に水やりをし、子どもたちが育ててきた野菜も、神様のお恵みをいただき、ついにトマト、オクラ、ピーマンが、小さいながら実ってきました。

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トマトは子どもたちより背が高くなりました。
食べられる日が待ち遠しい子どもたちです。

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〈カタツムリ〉
雨上がりの散歩の時に連れ帰ってきたカタツムリとダンゴムシに、興味津々の子どもたち!

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「動いてる〜」「うんちしてるよ〜」と毎日観察を楽しみ、またカタツムリはカゴから出して触ってみたりもしました。

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スタッフブログ::ゆりチーム | 11:21 AM | comments (x) | trackback (x)
梅雨に入り、お散歩やお庭でなかなか遊べない日が続き、なんだか遊び足りない様子のぶどうちゃん。晴れた日には、待ちに待った『どろんこあそび』へダッシュダッシュ

まずはホースやジョウロでどろづくり。テントから落ちてくる水を見つけ、釘付け・・・。



どろんこ水たまりが出来ると「なになに~?」とみんな集まってきました。
  

水たまりに近づいて、パシャパシャ汗

  

しばらくどろんこ水たまりを堪能したぶどうちゃん。  (あ!おもちゃも持ってこよう!)と一人が向かうと、みんな思い出したようにおもちゃ棚へ。

  



スプーンやカップですくって、おおきなヤカンやバケツに集めたり、お料理を作ったりして夢中で遊んでいました。

 



 

 

 





あそびもどんどん大胆になってきて、水たまりめがけて走りだす子も!!汗







6月の晴れ間に、体いっぱい、心いっぱいどろんこあそびを楽しんだぶどうちゃんでした。遊びこんだ泥だらけの服…。お洗濯ありがとうございました。  (h)
スタッフブログ::ぶどうチーム | 01:32 PM | comments (x) | trackback (x)
 

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